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震災はもうご免

 

松 本 芳 子
(神戸市灘区)

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「ドード、ドーン」と激しく突き上げる衝動で飛び起きるやいなや、何かが頭に当たった。「地震や!」主人の蒲団に引っ張り込まれた途端、「ドスーン」「ガチャーン」真暗闇の中で色んな物が倒れ、落ち、割れる音。ただひたすら揺れの収まるのを祈る。僅か10数秒の揺れが随分長い時間のように思えた。手探りで懐中電灯を探り出し、辺りを照らしてみてゾーとした。鏡台・本棚・テレビが私の蒲団の上に倒れ落ち、辺り一面ガラスの破片が散らばっている。まさに「間一髪」。よくぞ助かったものだと足が震えた。
蒲団を頭から被り、自宅前の集会所に避難した。着の身着のまま、虚ろな顔をした人々が続々と詰めかけ、僅か50畳ほどの部屋に100 人以上がひしめきあう。
窓から、道路一つ隔てた南側一帯に火煙が見える。生きた心地がしない。 市場から避難してきた弁当屋さんが持ち込んでくれた寿司飯でおにぎりを作り皆に配る。 日が暮れはじめ瞬く間に部屋の中が薄暗く なってきた時、三木に住む娘夫婦が迎えに来てくれた。幼い2人の孫達も一緒である。普 段1時間足らずの道程を6時間かけてやって来たという。『おばあちゃん、大丈夫か』孫の声に胸が一杯で、ただ頷くだけ。
翌朝、息子から連絡が入り、みんな無事社宅に避難したとの知らせにホッとする。1月20日、神戸電鉄が一部運行と聞き、寿司詰めの北神急行・バスを乗り継ぎ4時間かけてやっと我が家へ。風呂場は目茶苦茶、部屋の中は足の踏み場もない惨憔たる有り様。どう手を付けたらよいのやら。帰りの混雑を考え3時間程片づけてまた三木への往復が3日おきに始まる。
2月末、ガスが復旧する頃と聞いて我が家に戻る。風呂場下の水道管の亀裂でザーザーと水漏れ。屋根に被せたビニール・シートがずれ、天井板・壁のあちこちに雨漏りの跡。にわか左官の主人が壁の修理をする。しかし引っ張りだこの工務店・水道屋に頼みに行くが、いつのことやら。いらいらストレスがたまる。夜は屋根のビニール・シートがバタバタはばたいて寝つかれず、何度も不整脈が起き体重は10キロ減。
すっかり落ち込んでいた私を我に返らせてくれたのは、灘区役所で解体業者決定通知の電話連絡のお手伝いに参加したことである。県外に避難している人、親戚に身を寄せている人、学校など避難所にいる人等、連絡をとるのに一苦労。でも、長年住み慣れた家を跡形もなく取り除かれてしまう方々の事を思うと胸が痛む。
4月20日、21日、西灘小学校で開設された「震災なんでも相談所」に参加。やっと行政相談委員としての私の仕事が始まった。

 

 

 

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